今を大切に生きることについて

「今、この瞬間を大切に生きよう!」とは、よく言われることである。あるヨガの先生は、次のとおりおっしゃっていたそうだ。

多くの人は、過去にとらわれているか、将来のことを考えている。簡単ではないが、現在に意識を集中しよう。

同じことは、色々な本にも書かれている。いくつか列挙する。


道は開ける 新装版

道は開ける 新装版

過去と未来を鉄の扉で閉ざせ。今日一日の区切りで生きよう。
・・・
1 私は、未来に不安を感じたり、「水平線のかなたにある魔法のバラ園」にあこがれたりして、ともすると現在の生活から逃避していないだろうか?
2 私は、過去の出来事ーすでに決着のついたことがらーを後悔するあまり、現在をも傷つけていないだろうか?


タイムシフティング―人生が楽しくなる時間活用術 (日経ビジネス人文庫)

タイムシフティング―人生が楽しくなる時間活用術 (日経ビジネス人文庫)

今この瞬間に入りこみ、現在の心身の働きを意識すると同時に、過去や未来のことで思いわずらうのをやめてみると、深い平穏に満たされ、安らかな気持ちになるのに気づきはじめた。私という存在がまるごとリラックスというギアに切り替わっていくような感じだった。

なぜ、「今を生きる」のが、よいことなのだろうか?


まずは、以下の文章に遭遇した。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

人生とは、いまこの瞬間をくるくるとダンスするように生きる、連続する刹那なのです。
・・・ダンスを踊っている「いま、ここ」が充実していれば、それでいいのです。


しかし、次の文章を読んで、混乱した。

時間と自己 (中公新書 (674))

時間と自己 (中公新書 (674))

離人症・・・患者が「てんでばらばらでつながりのない無数のいまが、いま、いま、いま、いま、と無茶苦茶に出てくるだけで、なんの規則もまとまりもない」と語っている・・・患者のいう「いま」は、もの的な刹那点の非連続の継起にすぎない。

実は、いまに集中できず、過去や未来にとらわれているほうが正常ではないか?せいぜい言えることは、程度の問題であり、「過去や未来にとらわれ過ぎるな」ということではないか?


そして、次の2つの文章を読むことで、分かった気がする。

まずは、先ほど取り上げた「時間と自己」より。

純粋持続が時間となりうるためには、それは空間と単に区別されるのではなく、むしろ空間を自己のうちに含むことによって、空間とのあいだの緊張関係のうちに保たれているのでなくてはならない。


次にもう一つ。

正法眼蔵(一)全訳注 (講談社学術文庫)

正法眼蔵(一)全訳注 (講談社学術文庫)

去来と認じて、往位の有時と見徹せつ皮袋なし。(時はただ去来するものとのみ心得て、ある時とは物のありよう事のありようだと見透す人はいない。)
山も時なり。海も時なり。時にあらざれば山海あるべからず。山海の而今に時あらずとすべからず。(山も時である。海も時である。時にあらざれば、山も海もあることはできない。山や海の「いま」に時はないと思ってはならぬ。)


つまり、時と存在は不可分なのである。いまを大切にしないということは、ものも他人も、そして自分も疎かにするということである。いまも、ものも、他人も、そして自分も大切にしないといけないと思った。