努力か才能か

 

ニュータイプの時代

ニュータイプの時代

 

 本書第5章13「自分の価値が高まるレイヤーで努力する」で、

「努力は報われるという命題はミスリーディング」と説く。
「天才モーツァルトも努力していた」という命題から、
論理的に導き出される導き出されるのは、
「努力すればモーツァルトのような天才になれる」でなく、
「努力なしにはモーツァルトのような天才にはなれない」と。
練習量の多少によってパフォーマンスの差を説明できる度合い
に関する論文も紹介している。
 テレビゲーム 26%
 楽器 21%
 スポーツ 18%
 教育 4%
 知的専門職 1%以下
山中伸哉教授が何度もキャリアチェンジしたエピソードを紹介しつつ、
自分のポジショニングの重要性を説く。

 

 米国陸軍士官学校(ウェストポイント)の

過酷な訓練に耐えた人/耐えられなかった人の特性を調査したところ、
「やり抜く力=GRIT」が高いことが重要であることが分かった、と言う。
才能が結果に直結するのではない、
才能×努力によってスキルが向上し、スキル×努力によって結果を達成する、と。
自分のGRITを伸ばすための方法
(興味、練習のやりかた、目的を見出すこと、楽観的な考え方)を説き、
賢明な子育ての重要性、組織風土の重要性も説く。
実験台になった(?)学生たち、ニューヨーカー誌の漫画家、
歴史上の偉大な人物たち、様々な例が紹介されていて、説得力がある。
 
李陵・山月記 (新潮文庫)

李陵・山月記 (新潮文庫)

 

 ここに収められている「弟子」では、

孔子の弟子たちが議論をしている。
「子貢は、・・・孔子の偉大な完成はその先天的な素質の非凡さに
依るものだといい、宰予は、いや、後天的な自己完成への努力の方が
与って大きいのだと言う」と。
努力か才能かは、人類の永遠の課題なのであろう。
 
才能も大事だが、努力がもっと大事である。
努力すること自体も才能だが、努力できるという才能は磨くことができる。
まったくの根拠もない私の意見でした(『GRIT』と同じ結論かな?)。