「寺院消滅」鵜飼秀徳著

寺院消滅

寺院消滅

地方の人口減少、地域コミュニティの崩壊、核家族化・「イエ」制度の崩壊によって、寺の経営が成り立たなくなっている姿をルポターシュする。まさに本書のタイトルからイメージされる内容である。

しかし、これらは仏教の本質的危機ではないと思った。「釜前読経」というものがあると知り、衝撃を受けた。

遺族は病院や施設で遺体を引き取ると、すぐに葬儀屋に引き渡し、納棺だけを済ませるとダイレクトに火葬場に送る。通夜や葬儀は実施しない。
僧侶とは火葬場で待ち合わせる。霊柩車が火葬場に到着するや僧侶は炉の前で、10分ほどの短い経を読んで、「お別れ」が完了する。僧侶は火葬自体には立ち会わない。読経が終われば「それでは失礼します」と言って足早に消えていく。これを俗に、「釜前読経」と呼ぶ。


これは、本書の最後に佐藤優氏が解説しているように、「死に対する意識が変化しているから」だと思う。一方で、本書の中では、僧侶や寺が、色々な面で死に関わることが書かれている。いくつか引用する。

お坊さんは人が死んだときに送らなければならない立場です。生きているうちからその人のことを知っておかなければいけないのは当然でしょう。それが寺にいる者の、基本的な務めです。

人間がどうしても避けられない死を迎えるうえで、死と向き合い、死を語り合える場が寺だと思います

民俗学者柳田国男が言っていますが、日本人は「自分が祀ると同時に、祀られる存在になることを期待している」というのです。

これらのことは、最初に述べたように、地方の人口減少、地域コミュニティの崩壊、核家族化・「イエ」制度の崩壊によって、従来の通夜・葬式が成り立たなくなることにつながるだろう。



しかし、私は、日本人が死と向き合う際、今後も仏教を捨てることはないと考える。

日本仏教史―思想史としてのアプローチ (新潮文庫)

日本仏教史―思想史としてのアプローチ (新潮文庫)

そもそも死は日本人にとって扱いの困難な対象であった。・・・
経典や呪文の力は死者のアラタマを無事に安らぎの国へと送りとどけ、人びとを温かく見守るホトケへと変容させることができた。仏教式の死者供養が大きく幅をきかせるようになったのも、こうした力ゆえではななかったか。・・・
葬式仏教がどれほど仏教の本旨から外れていても、それだけの必然性があって発展してきたものであれば、将来的も決して簡単にはなくならないのであろう。

死以上に、人間にとって大きな出来事はない。通夜・葬式の在り方は、今までとは全く変容するかもしれないが、死に仏教が関わらないことは、今後もないだろう。「釜前読経」と揶揄されても、お経をあげること自体は残っているのだから。