「働く女子の運命」濱口桂一郎著

本書の特徴は徹頭徹尾日本型雇用という補助線を引いて、そこから論じたところにあります。・・・ですから、女性論としてはここが足りない、あれも欠けているという批判はいっぱいいただくと思われますが、他書には乏しいその付加価値のところを批評いただければというのが著者の願いです。

上記はあとがきの文章である。本書を読んでいる途中で、メンバーシップ型/ジョブ型のことばかり書いてあって、社会福祉とか家族のありかたに触れていないではないかと一人で突っ込みを入れていたが、この文章で、本書のテーマは、「日本型雇用システムの中で苦しむ総合職女性」なのだと納得した。


第1章で、高度成長期までの女性労働の歴史が述べられている。私にとっては、知らないことが多く、大変勉強になったが、本書の全体の流れからすると、削除可能だと思う。
第2章で、日本に職能給が定着していく歴史が述べられている。賃金のベースが能力なのか生活給なのかの議論に紙面が割かれている。しかし本書の趣旨からすると、男性の労使双方(=ともにメンバーを構成)にとって、職能給が望ましかったということであり、現在の総合職女性の苦しみに関しては、どちらでも関係ないことだろう。初めて濱口氏の本を読む人でなければ、斜め読みでよい部分である。


そして、第3章以降で、女性総合職が登場し、現在に至る歴史が述べられている。ここからが本書の肝である。

女性正社員にも男性正社員と同様の「コース」をたどって昇進昇格していく機会を与えること、それが、日本型雇用礼讃時代の真ん中で進められた男女平等政策が取ることができた唯一の細道であったのです。

このあと女性労働問題の焦点は、全人格的に企業のために働くという要請と、にもかかわらず主として女性にかかり続ける家事負担、とりわけ出産後の育児負担との矛盾に当てられていくことになります。

総合職女性が「育休世代のジレンマ」に悩み、その周囲の人々が「悶える職場」が、こうして生み出され続けることになります。

まさにこういうことだと思う。総合職女性が苦しむ背景を、改めて整理できる一書である。



日本型雇用システム(メンバーシップ型)が変わらないままだと、体力のある企業は、社内託児所・学童施設を設けたり、ベビーシッター・家事代行サービスにかかる負担を援助したりすることで、総合職女性を「男性化」していくだろう。以前私はこのブログで、「女性活躍」の議論が、日本型雇用システムへの最後の一撃になると書いたが、その予想は外れたようだ。そうではない道を歩みたいのなら、社会福祉や家族のありかたに手をつけないと、あるいは全く別の観点から手をつけていかないと、何も変わらないと思う。