「岩波講座日本歴史第18巻 近現代4」


近現代4 (岩波講座 日本歴史 第18巻)

近現代4 (岩波講座 日本歴史 第18巻)

本書には、興味深い論文が多数載っていたが、今回は、高岡裕之氏による「戦争と大衆文化」を取り上げる。

戦時期は、「文化全般が抑圧された文化・文化人の受難の時代」というイメージが強い。本論において、これはこの通りである一方で、単純なものではないことを、時代を追って説いていく。


(1)1930年代 大衆文化の発展

 大衆文化が進展する一方、権力者・知識人双方が、大衆文化を批判していた。

 「娯楽資本ー映画資本、演劇資本等々ーによって決定されて、製造され配給される」商品としての性格を強める中で、国民各層にその影響を拡大していた。しかし大衆文化の内容は、知識人層にとって受け入れ難いものであり、知識人層の間では、大衆娯楽の営利主義・商業主義に対する批判が台頭するようになっていた。


(2)1940年以降

 総力戦を戦うため、(1)のような文化産業による支配から文化を解放しようとする動きが起きた。しかし、それはうまくいかなかった。

 (大政翼賛会が発表した文化政策の綱領について)要するにそこで提起されていたのは、文化産業の営利主義・商業主義によって享楽的・無国籍的なものと化していた大衆文化に代わり、勤労者の生産と生活に根を下ろした「国民文化」を建設することであった。・・・しかし、大衆娯楽・大衆文化が人々の間に根強く存続した


(3)1943年以降

 (2)のような知識人主導の文化政策は後退し、文化・娯楽は戦力増強に直接貢献する「国民娯楽」として動員されるようになる。内容が高度か低俗ということは問われず、文化人・芸能人が、軍・工場等への慰問に、根こそぎ動員された。「知識人」の立場に立つと、戦争に強力させられた一方で、大衆を変えることもできなかったのである。

 文化政策・文化運動の理念とされてきた「国民文化」が後景に退き、代わって戦力増強や国民士気の昂揚が前面に掲げられるようになる。・・・戦力増強に直接役立つことを目指した文化・娯楽の動員は、1944年にその頂点に達する。

「戦時文化政策に関与した知識人・文化人が、しばしば戦時下における挫折・敗北を語っているのは、こうした文化政策の転換を踏まえることでよく理解できる」という文章には、どきりとさせられた。物事を一面からのみ見てはならないこと、また「評論家」が言っていることを単純に真に受けるのは危険であることを、肝に銘じた次第である。