「森の生活」追記

本書について、14年9月10日日経夕刊に、ジャズピアニストの山中千尋氏のコメントが載っていた。

音楽至上主義の毎日に息がつまった時、H・D・ソロー「森の生活」・・・を手にとった。・・・毎朝6時からの寮の隣人が鍵盤に叩きつける音階練習の暴走を、特急の通過を見守る各駅停車の乗客のような気持ちでのほほんと聞き流せるようになったのもソローのおかげだ。

そして、本書を読むきっかけとなったのは、火山学者鎌田浩毅氏の以下の本に紹介されていたことだ。

座右の古典 ―賢者の言葉に人生が変わる

座右の古典 ―賢者の言葉に人生が変わる

私自身、ソローのような感覚に浸りたくなると、火山の中に出掛ける。・・・澄み切った大気の中をそよぐ風は、私の思考を研ぎ澄ます。・・・たとえ短くてもよいからこうした時間を作り出し、目標追求を一時的に停止してみることが、人生ではとても大切である。

人間は誰しも、それぞれのやり方での「森の時間」が必要だということだろう。


そして、鎌田氏は以下のように続ける。

森の中で隠棲の生活を続けるだけでは、人生の意味はさほど多くはならない。森に入る前と出てきた後で、著者(アラン注:ソローのこと)がどれだけ変化したかを、読者は本書の最後で知ることができる。「私は森に入った時と同じ理由でそこを去ったのである。どうやら、私には生きるためには、もっと別の生活をしなければいけないように思えた。だから、森の生活のためにのみ時間を割くことは出来なかった」。このくだりは私がいちばん好きな箇所で、ここを読むといつも力が湧いてくる。

確かによい言葉だ。思索と実践は、どちらだけでは足りず、双方が必要ということだろう。