「時間と自己」木村敏著

時間と自己 (中公新書 (674))

時間と自己 (中公新書 (674))

タイトルのとおり、時間と自己が深い関係にあることを説く。時間が、客観的に一定のスピードで流れていくものでなく、自己意識に規定されている旨を説く。そして、時間や自己に関する認識は、結構危ういバランスの上に立っていることが分かる。

時間が時間として流れているという感じと、自分が自分として存在しているという感じとは、実は同じ一つのことなのだ。
時間の誕生と個我の誕生とは厳密に同時的であって、両者はともに人間の自然状態からの疎外の症状とみなさなくてはならない。
いま(=現在)・・・が未来と過去をも自身から生み出す根源という意味で未来と過去のあいだであるということを意味する。


そして、それらのことを、うつ病等との病理から読み解く。

分裂病(ママ)者の未知なる未来への親近性
うつ病者における既存の役割的秩序との親近性
癲癇と躁うつ病・・・現在の優位

本書を読んだきっかけは、佐藤優著の「人に強くなる極意」に紹介されていたことである。

「人に強くなる極意」では、「時間と自己」を紹介しつつ、「優秀でしっかり仕事をこなしてきた人物」がうつ病になる理由を、「取り返しがつかないことになった」という感覚が強いことに触れた後、次のように述べている。

まじめな人ほどうつ病になりやすいというのはそういうことです。先回り先回りで仕事をしていた人が、一度うつになってしまうと今度は極端に先送り先送りで仕事が手につかなくなってしまう。まるで別人のようで周囲は驚きますが、実は根は一緒で、表現形が違っているだけなのです。

自己啓発の本や禅に関する本を読むと、「いま、この現在を大切にせよ」という趣旨のことが書かれていることが多い。それと、本書での癲癇・躁うつ病と現在の優位について、どういう関係だろうかと思ったが、本書には「禅の考えはずいぶん癲癇的」と書いてあり、合点がいった。
「健康な人」とこころの病を抱える人と、宗教的悟りを開いた人との間は、少なくとも「時間と自己」の感覚に関しては、それ程の断絶があるのではなく、紙一重なのではないかと思った。