「嫌われる勇気」岸見一郎・古賀史健

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

昨年一度読んだが、最近再読した。昨年読んだ際も大きな衝撃を受けたが、今回、再度衝撃を受けた。何度も読み返したい本である。

仕事そのものが嫌になったのではありません。仕事を通じて他者から批判され、叱責されること、お前には能力がないのだ、この仕事に向いていないのだと無能の烙印を押されること、かけがえのない「わたし」の尊厳を傷つけられることが嫌なのです。つまり、すべては対人関係の問題になります。

あなたが誰かに嫌われているということ。それはあなたが自由を行使し、自由に生きている証であり、自らの方針に従って生きていることのしるしなのです。

他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない。つまり、自由になれないのです。

前回読んだ際は、ここまではよく理解できた。まさに本書タイトルの「嫌われる勇気」である。自分のやりたいことを貫くということだ。しかし、これだけでは、普段の生活では、なかなか行動指針になりづらいとも感じていた。

「他者からどう見られているか」ばかりを気にかける生き方こそ、「わたし」にしか関心を持たない自己中心的なライフスタイルなのです。

胸にグサっと刺さる文章である。しかし、飲み込まなければならない文章でもある。

アドラー心理学ではあらゆる「縦の関係」を否定し、すべての対人関係を「横の関係」とすることを提唱しています。

これも、正直なところなかなか難しいが、大事な心構えだ。

他者から「よい」と評価されるのではなく、自らの主観によって「わたしは他者に貢献できている」と思えること。そこではじめて、われわれは自らの価値を実感することができるのです。

これを読んで、瀬戸内寂聴の「痛快!寂聴仏教塾」に書いてあったことを思い出した。布施には、いくつかの種類はあると言う。人によいことをするには、色々な方法があるのだ。「和顔施」なんて、今すぐに始められることだ。

  心施  親切にしてあげたり、優しい言葉をかけたり、悲しんでいる人を慰める。
  無畏施 畏れをなくしてあげる。人が苦しんでいるのを慰めて、苦しまないようにしてあげる。
  和顔施 いい顔をしてあげる。ニコニコして、相手にいい気持ちをプレゼントすること。

「他者に貢献するのだ」という導きの星さえ見失わなければ、迷うことはないし、なにをしてもいい。嫌われる人には嫌われ、自由に生きてかまわない。

とても深みのある、よい言葉だと思う。「7つの習慣」は、依存、自立、相互依存というステップで成長することを唱えている。私は、前回は「自立」までしか理解していなかったが、今回「相互依存」を理解したということだろう。

7つの習慣-成功には原則があった!

7つの習慣-成功には原則があった!



最後に、アドラー心理学は、仏教そのものではないかと感じた一文を。

アドラーは自らの述べる共同体について、家庭や学校、職場、地域社会だけでなく、たとえば国家や人類などを包括したすべてであり、時間軸においては過去から未来までも含まれるし、さらには動植物や無生物までも含まれる、としています。

これなんぞ、「草木国土悉皆成仏」「一仏乗」の世界そのものではないか。アドラー仏教徒なのではないかと思った。これからアドラー心理学と仏教を、もっと勉強しようと思った。