IT化が進むことによる、歴史研究の困難さ

「21世紀の資本」は、各国の統計資料・税務記録の地道な調査に基づいているのは間違いない。各国政府機関等に紙で残っている資料を、丹念に調べ、過去の推移や今後の予測を導き出しているのだ。

一方で、NHK Eテレの「パリ白熱教室」で、ピケティは、「最近インド等では、税務処理のIT化が進んでおり、データが残っていないため、資料収集が困難になってきた」と言っていた。これは由々しき事態である。各国が税務処理をデータ上でのみ行い、かつそのデータが残っていなかったり、膨大なデータが整理されずに保管されていたりすると、分析が困難になってしまう。1世紀後に誰かが「22世紀の資本」を著すことができなくなる。

歴史学には「頭脳の古代、ロマンの中世、体力の近世・近代」という諺があるそうだ。このうち近世・近代については、膨大な史料が現存し、しかもその多くが活字化されていない近世・近代史では、積極的に書斎を飛び出して史料調査に励まないことには埒が明かず、足で稼ぐ比重が大きいからだそうである。
今後、肝心な史料は公表されず、政府機関のサーバーにのみ残ることになるかもしれない。また、多くの人たちが、SNS等で膨大なやりとりをしていることであろう。未来の人々が、今の世の中を歴史として研究する場合、ビッグデータ技術を駆使し、かつ公表されていない肝心な情報を推察するという、途方もない能力が要求されることになるかもしれない。