日経ビジネス「日本人は甘え過ぎ 目指せ競争社会」を読んで

日経ビジネス1月5日号に、標題の記事があった。学校・会社にある「行き過ぎた平等」の事例をいくつかとりあげつつ、日本の将来のため、競争社会を取り戻そうを説く。そのうち、会社の事例について気になったので、取り上げる。

1つ目は、金融関連企業の事例。ある年から、20代全員に海外勤務を経験させる施策を導入した。そのあおりを受け、英語の勉強を続け、海外勤務の機会を狙っていた30代社員が、海外勤務のチャンスを失ったという話である。海外志向の高くない20代社員たちが「海外生活ガイド」を楽しそうに眺めているのを見て、30代社員のモチベーションが下がっているとのことだ。

しかし、20代社員たちも、海外に赴任すれば、外国人の中で働き、言葉・文化の違いに苦労しながら何かをつかみ、大きく成長するのではないか。「平等に試練を与える」ということで、平等ではあるが、行き過ぎた平等とは、私は思わない。そして、30代社員のチャンスを奪ったという点は、制度移行期の問題であり、制度設計をもっとくふうする必要があると感じた。

2つ目は、産業機械メーカーの事例。大学で機械工学を学んで入社した社員が、皿洗いと掃除の当番制によって、事務職社員と等しく、当番をこなさなければならないという話。その社員は、アジアメーカーが台頭する中で、「こんなことをしている余裕があるのか」と疑問を持つ。

これは、「行き過ぎた平等」の問題というより、企業文化の問題だろう。何のための企業かということを突き詰めた時に、この当番制度が必要と信じるならば、万難を排して続けるべきし、深い考えがなくやっているなら、即刻やめるべきという話だ。

3つ目の事例は、旧三洋電機について。社員の階層が14段階に分かれ、どんなに能力のある社員でも責任あるポストに就くのに20年近くかかると嘆く。

まさか、14段階の階層を、全社員が手をつなぎながら、同じタイミングで昇っていくのではないだろうから、「行き過ぎた平等」の問題というより、早い選抜がよいか、遅い選抜がよいかという、人事制度の設計の問題だろう。どちらの方が企業の力を高めるか、そしてどちらの方が社員を幸せにするか、それはもう百家争鳴なので触れないが、これも突き詰めて考えるべき課題である。

同記事には「すべての国民が平等に幸福に暮らせる社会こそ理想・・・。だからといって、社会から競争を根絶するのはおかしい」と主張する。私もそれ自体には賛成だ。ただし、表層的な議論は危険である。どのような事象が起きていて、その根源に何があるのか、一人ひとりが突き詰めて考えていくことが必要だと思う。