「メンバーシップ型社会」と江戸時代

著者の濱口桂一郎先生は、雇用の仕組みを「ジョブ型」と「メンバーシップ型」に分け、日本型雇用システムは後者と説明するが、他書と比較しても、本書はその説明が大変分かりやすい。


那覇潤氏の「中国化する日本」を読むと、まさに日本は「江戸時代化」した社会であり、これは「メンバーシップ型社会」そのものと感じる。

中華文明と日本文明の違いを、様々な観点から分析している。人間関係については、中華文明においては、「同じ場所で居住する者どうしの「近く深い」コミュニティ」よりも、宗族(父系血縁)に代表される「広く浅い」個人的なコネクションが優先される」が、日本文明においては、「ある時点まで同じ「イエ」に所属していることが、他地域に残してきた実家や親戚への帰属意識より優先され、同様にある会社の社員であるという意識が、他社における同業者(エンジニア・デザイナー・セールスマン・・・)とのつながりよりも優越する」のである。日本文明=江戸時代は、光と影がある。「ひとり占めせず己が分をわきまえる生き方をみんなが心得ていたことで、上位者も下位者も互いにいたわり慈しみあう日本情緒が育まれた、譲りあいの美徳ある共生社会」とポジティブに捉えることもできる。一方で「あらゆる人々が完全には自己充足できず、常に何かを他人に横取りされているような不快感を抱き、鬱々悶々と暮らしていたジメジメして陰険な社会」とネガティブに捉えることもできる。日本の歴史上、平氏政権、明治維新は「中国化」する動きだったが、結局「再江戸時代化」の力が強く、戻ってしまっているとのことである。


史書を紐解くと、江戸時代の村は、まさにそのようだったようだ。

近世2 (岩波講座 日本歴史 第11巻)

近世2 (岩波講座 日本歴史 第11巻)

本書の5番目の章「近世の村(渡辺尚志氏)」には、「家の維持を通じて村人たちの生存を保障し、村人たちは家に拠りつつ村を支えた。村と家は相互に補完しあい、人々は村と家に依拠して生活を営んだ」とある。村は、災害時に助け合うのは勿論のこと、生活困難者・破産者に経済援助をした。家の数をコントロールするために、村の承認がないと、分家・養子縁組等ができなかった。村は夫婦喧嘩・親子喧嘩にまで関与し、解決に努めた。何と暖かい社会かと思うが、「村が牧歌的なユートピアでなかったことは言うまでもない」と説く。具体的にどうユートピアでなかったかは、本書からは読み取れなかったが、容易に想像はつく。江戸時代の村は、まさに「メンバーシップ型社会」であり、「江戸時代」(当り前か)であることが分かる。

こういった本を読んでいると、「メンバーシップ型社会」は、日本の社会・文化の奥深い何かに基づいているのではないかと感じる。濱口桂一郎氏が説くように、「ジョブ型」に移行するためには、相当なエネルギーが必要だろう。