『中国の歴史08疾駆する草原の征服者』杉山正明著

唐時代の安史の乱からモンゴル帝国が中国本土を失陥するまでの激動の600年を、中華思想(及びそれと対をなす夷狄という概念)から自由な著者が、ユーラシア全体の視点で描く。
大王朝のイメージが強い唐は、建国初期を除くと、実は分立化して勢力を失っており、当時東アジアはウイグルとトゥプトの二強時代だったと言う。西尾幹二氏は『国民の歴史』の中で「唐の滅亡は、東アジア世界の全域をゆるがす大事件でした。・・・中国大陸にはもうこのあと二度と古代文明と同じ輝きをみせる国は立ち現れない。」と述べるが、著者からすれば、唐は建国初期を除き、決して大帝国ではなかったのである。西尾氏は中華思想を批判するものの、図らずも著者の言うところの「王朝史観」に立ってしまっているのかもしれない。
また、北宋の時代と呼ばれる時期も、実は北宋、キタイ帝国(契丹、遼ともいう)、西夏の三国鼎立時代であり、キタイの力が最も強かったと言う。「夷を以って夷を制すとは、中華国家伝統の智慧だとよくいわれるが、そもそも唐朝そのものが鮮卑、拓跋出身の紛れもない夷なのであった。・・・この時代の中華とアジア東方は、他種族いり乱れたボーダーレスな世界なのであった。」と述べるように、大変動と流動化の時代が続いていたのである。そしてモンゴル帝国が、諸勢力の智慧、経験、ノウハウをすべて呑み込み、ユーラシアの大部分を支配するに至るという流れにつながっており、モンゴルの急成長の背景をとても分かりやすく説明している。
著者はキタイ帝国がお気に入りのようで、かなり詳しく記述しているが、私はさらにキタイのことを知りたくなった。ただし、李存勗がキタイの耶律阿保機に対し、違約であると責めたのを、それまで李存勗が一方的に助けられていたことをもって、「自己中心の身勝手な男」と断じているのは、筆が滑りすぎである。ご愛嬌とは思うが。
それにしても「中華と塞外などという区別は、多分に後世の人間がつくりだしたイメージにすぎない」などという文章を読むと、誠に目から鱗が落ちる思いである。さらに、「率直にいって、日本の中国史家よりも中華人民共和国や台湾の学者のほうが、中国ないし中華という歴史体をはじめから多元的構成と割り切ってみている。」というから大変驚きである。自らの視野を広げる必要性を痛感した。中国史・世界史に少しでも興味がある方は、ぜひともお読み頂きたい一冊である。