『キメラ』著 山室信一 中公新書

キメラ
山室 信一著
著者が本書を表す30年前、竹内好氏の「日本国家は満州国の葬式を出していない。口をぬぐって知らん顔をしている。これは歴史および理性に対する背信行為だ。」という言葉を聞き、満洲国とは何であったかという問いに一生かけて答えねばならないという想いにとらわれ続け、ついに出版に至ったというものである。
膨大な資料やインタビューに基づき、満洲国の姿を描き出していく。簡単に要点をまとめると、「民族協和・王道楽土」という理念はあったものの、傀儡国家に他ならなかったということであろう。対ソ戦略拠点にする、自給自足圏を形成する、赤化遮断といった目的のため、当初は満蒙を領有するつもりが、独立国家建設に転回した経緯を示すことで明らかにする。また、日本人が長官職を独占する総務庁が中心に政策が決定していく様子を示すことでも明らかにする。
一方、個々の記述には疑問点が多々ある。帝制を採用した際、「溥儀は尊厳不可侵の地位と引き換えに政治的実権を法的にも失った。」とあるが、「実質的に失った」というなら分かるが、「法的に失った」というのは解せない。また「満洲という国号を創り出したという市村瑞次郎の偽作説が有力でした。そのため、・・・満洲国をもって、女真族のマンジュニグル(満洲国)の復興などと考えた人は皆無であったと思われます」とあるが、“満洲”という名称が偽作であることと、民族国家が復興することを混同しているのではないか。さらに、日満関係を示す語が、手を隋師に借り→善隣→友邦→盟邦→親邦(“親”とはシンではなくオヤのこと)と変遷したことを示し、「呼称が改まるごとに対等な関係から非対等な上下関係」となり」とあるが、呼称が非対等になったのは“親邦”からであり、「改まるごとに」という表現は適切でない。
このようにいささか論理的に飛躍している箇所が散見され、全体の論理構成への信頼性が失われている恐れがある。しかし著者自身が「本書において、私が満洲国の歴史的意義についての評価をしていることにつきましては、その当否を含めて強い御批判があることも承知している」とある。真摯な態度で探求していく姿に経緯を表したいと思う。