『働くということ』黒井千次著 講談社現代新書

働くということ
黒井 千次著
 著者は、15年間メーカーに勤務した後、文筆生活に入った方である。本書は、前半が著者のメーカーでの勤務体験、後半が様々な本や著者の分析・思索を通じ、働くことの意味を問いかける。初版が82年3月で、私が手にしているのが05年7月36刷であるから、多くの読者に読み継がれてきたロングセラーといえるだろう。その割に、読み始めて当初は、内容がいささか幼稚である印象を受けた。例えば「細分化された単純な労働の繰り返しは確かに仕事の能率を高めるけれど、一方で一人の人間にとっての労働の姿を歪めずにはおかない」とあるが、その通りではあるものの、15年も勤務していたのなら、前後工程・工程全体を把握する努力をしてはどうかと感じてしまう。
 一方、(会社に対してではなく)労働に対して真剣に取り組み、喜びを見出していく人たちを描く展開は見事である(著者は「職業意識」と「企業意識」という語も区別して用いている)。ソ連強制収容所で強制労働させられている者が、建築工事に没頭し、一日の勤務の後、集合に遅れ処罰される危険も顧みず、仕上げ作業や自分の仕事の出来栄えを確認する様子が描かれているが、恐ろしくもある一方で、実感が伴っているのも事実である。「企業に就職することが生きていく上の必要条件だといいたいのではない。労働に出会うことが、労働の中で自己を確かめようとすることこそが人間の成長にとって不可欠の要件であるといいたいだけなのだ」「労働を通じて自己を表現し、自己実現をはかる機会がある」という言葉に心を打たれた。15年間のメーカー勤務、及び12年間の思索の結果得た著者の考えは、重みのあるものである。すべての働く人におすすめしたい一冊である。