『詭弁論理学』野崎昭弘著 中公新書

詭弁論理学
野崎 昭弘著
本書では数多くの詭弁が紹介されているが、そのうち「媒概念曖昧の虚偽」という詭弁は、お馴染みの「AはBである。BはCである。ゆえにAはCである。」という三段論法の使いつつ、Bを二通りの意味で使われる言葉を当て、おかしな結論が出すというものである。例えば、「塩は水に溶ける。あなたがたは地の塩である。ゆえにあなたがたは水に溶ける。」第一文の「塩」は物質的な普通の塩であり、第二文の「塩」は「役に立つもの」というような比喩的な意味で使われている。このような詭弁なら笑い話で済むが、次のような詭弁になると事態は深刻になる。「Aは水俣病患者(1)ではない。水俣病患者(2)でなければ補償を受けられない。ゆえにAは補償を受けられない。」(1)は「水俣病の典型的な症状を、すべて具えた患者(医学用語)」のことであり、(2)は「工場廃水による有機水銀中毒患者」のことである。
立花隆著の「東大生はバカになったか」では、「西欧では虚偽論が発達して、・・・論争をするときでも、それは論点先取の虚偽になるなどとパターンを示すだけで相手の誤った議論を封じこめるということが可能になります。しかし日本では、こういったロジックの誤りを見抜いてそれを指摘するという知的訓練が小さいときから決定的に欠けている・・・ため、・・・初歩的な誤謬推理にもとづく議論をふりまわす人が絶えないという知的惨状を呈しています。」として、日本人が、誤った議論を見抜く能力、誤った議論に反駁する能力が不足していると嘆いている。私事で恐縮だが、私はこの立花氏の文章を読んで刺激を受け、一度通読した本書を再び手にとったのである。
本書を読めば、どのような場面で詭弁が使われているかが具体的に分かるし、世間でなされている議論がいかに危うい可能性があるかが分かる。一方で、まえがきにあるように本書の目的の一つは「議論を楽しむゆとりを身につける」ということであるが、紹介されている詭弁が分かりやすいものばかりなので、本書を読むだけでは、実生活で応用して、議論の時にゆとりを感じるようになることは難しそうである。しかし、それはむしろ他書を待つべきであり、本書もう一つの目的である「知的・論理的な観察」は十二分に行うことができ、知的好奇心を大いに満たしてくれる一冊と言うべきであろう。