『不屈の棋士』大川慎太郎著で、未来のAI社会を考える

不屈の棋士 (講談社現代新書)

不屈の棋士 (講談社現代新書)


将棋のプロ棋士11名へのインタビューで構成。将棋のプロ棋士がコンピューターに負けることが珍しくなくなっている。また、遠くない未来に、AIの知能が人間を超えるかもしれない。将棋界は未来社会を先取りしているのかもしれない。そういう中で、とても興味深く読んだ。

デメリットは、あまり自分で考えなくなってしまうことでしょうか。(羽生善治
(ソフトを使うデメリットは)自分の頭で考えなくなることでしょう。(渡辺明

こういうコメントは、多くの棋士が発している。「今日の食事はご飯かパンか」なんてことまでAIに決めてもらうようになったら、人間は自分では何もできなくなってしまうだろう。

使う人間の頭の良さが問われる時代です。頭のいい人は自分を見据えて、どう使うべきか理解していると思います。(渡辺明

本当にそうだと思う。AIにできないことを考えないと、生き抜けないだろう。

認知科学の本を読んで・・・自分にとって親しみを感じるもの、認知容易性というのですが、そういうものに対しては積極的に取り組みやすいし、そうでないものに対しては「なんだこれ」と親しみを持てなかったりするそうです。
・・・(ネットでの議論について)でもそれは結局、自分の内部から沸き上がる好きか嫌いかという感情論がほとんどだと思いました。(西尾明)

私もそうだが、AIが社会に入り込んでくることに、何となく薄気味悪さを感じるかもしれない。多くの人がそういう感覚を持つならば、AIを積極的に導入する際は、相当の留意が必要だろう。
これに関して、棋士が研究をする際、ソフトを使うことに抵抗感または後ろめたさを感じるケースが少なくないようだ。対局時に新手を繰り出しても、「どうせソフトが考えた手でしょ?」と言われるのが、いやなのだ。上司が「取引先には〇〇と言って説得してきなさい」と指示された際、「どうせAIがアドバイスしてるんでしょ?」と思ったら、その指示に従うのがばかばかしくなるのかどうか。

いまは将棋に勝つためにパソコンの技術を習得しなければいけないのか。(山崎隆之

ソフトを活用するには、ネットからソフトを自分でダウンロードしたりすることは、実はハードルが高いようだ。些末な議論かもしれないが、結構重要なことを指摘している。これからの時代を生き抜くには、プログラミング技術とかは必須なのだろう。

でたらめな将棋というか、とりあえず前例のない将棋に持ち込む傾向は増えていくでしょうね。・・・世の中全体がそうですから。(渡辺明
怖い局面でもソフトで事前にある程度裏が取れていれば冒険する人も増えています。(西尾明)
ソフトが出てきてからみんなもっと自由に、奔放にやってもいいんだということがわかった。固定観念が取り除かれたんです。(山崎隆之

これまでは「やったほうがいいけど、失敗したらやばいし」といった施策等が、AIで事前シミュレーションして自信をつけ、実行されるようになるかもしれない。

チェスのグランドマスターのおもしろいインタビューを読みました。・・・世界戦の前に対戦相手のチームが強豪ソフトのアップデートを遅らせてくる、と。自分たちだけ独占的に最新版を使えるようにしているようなんですね。(西尾明)

チェスは何年もまえに、コンピューターが人間の実力を上回っている。そのチェス界から学ぼうというのは、とてもよいアイデアと思った。そして、上記の事態が起きているとは、末恐ろしいとも感じた。限られた人だけが、高性能AIを独占したら、大変なことになる。裕福な人だけが高性能AIを持てるようになったら、格差がますます拡大してしまうかもしれない。

やっぱり2005年に将棋連盟が打ち出したソフトとの対戦禁止令がもったいなかった気がします。あの方針が悪手だったかなあ。(行方尚史

個人も組織も、AIへの対応を誤ると、とんでもないことになるかもしれない。


本書を貫く最も重要かつ深刻なテーマが、「棋士の存在意義」である。これについて、私には論評する能力はとてもないが、以下コメントは参考になると思った。

お互い(=人間とコンピューター)が将棋の普及に対してプラスになればいいね、くらいに捉えています。指す相手がいない人がソフトと練習できるのはプラスですよね。今後は教育用、つまり将棋の指導ができるソフトができれば、共存共栄ができる気がします。


本当におもしろく、色々と考えさせられる本だった。